2020年10月30日金曜日

世界最大級の鉄道博物館 | ヨーク鉄道博物館(National Railway Museum) 前編


 中世時代、薔薇戦争において赤い薔薇が記章のランカスター家と白い薔薇が記章のヨーク家が王権をかけて争った。ヨーク家の領地だったヨークの街は現在では観光と農耕の町として栄えている。そしてこの町には世界最大級の鉄道博物館がある事で知られている。その名はNational Railway Museum(以下NRM)という。

ロンドンとスコットランドを結ぶ東海岸本線(East Coast Main Line)の中間地点に位置するヨークには機関車の整備や補修をするヨーク機関庫が存在した。元機関区の施設を再利用して1975年に開館したのがNRMだ。


展示場所は大きく分けて4つのエリアに分かれており、博物館の中央を道路が南北に分断している。エントランスがある南側エリアには、王室専用列車などを収めた「ステーション・ホール」、動態保存機に乗ることが出来る「サウス・ヤード」がある。

エントランスから延びる地下道を通って道路の下を潜ると北側エリアに行くことができる。北側エリアには世界最速の蒸気機関車マラード号を収めている「グレート・ホール」、機関車の整備・復元作業を行っている「ノース・シェード」がある。


今回は南側エリアの「ステーション・ホール」と「サウス・ヤード」を紹介し、後編では北側エリアの展示を紹介する。


・英国における鉄道の歴史


世界初の旅客鉄道で活躍した「ロケット号」

1821年、英国の技術者ジョージ・スティーブンソンによって世界初の商用的に成功した蒸気機関車が開発されると、圧倒的な輸送力を持つ鉄道は産業革命の基盤となり、鉄路は瞬く間にグレートブリテン島の至る所へ伸びていった。

かつて南海岸に路線を持っていたLSWRのM7クラス蒸気機関車(245号機)

しかし、当時の英国の鉄道は全てが私鉄によって建設された為、各社が利益を追求して好き勝手に路線を伸した結果、過当競争に陥っていた。そんな折に勃発した第一次世界大戦ではすべての英国の鉄道が一時的に国の管轄化に置かれたことで、鉄道会社を統合する気運が高まった。戦争が終結して3年が過ぎた1921年に鉄道法が発効され、主な鉄道路線は4つの大きな鉄道会社に統合される事となった。


グレートブリテン島を4つのエリアに分け、それぞれを4つの大手私鉄が運営するビッグ・フォーと呼ばれる体制が1923年~1947年まで続いた。
  • LNER (London and North Eastern Railway)
  • LMS (London Midland and Scottish Railway)
  • GWR (Great Western Railway)
  • SR (Southern Railway)
ちなみに、現在英国で鉄道を運行している会社に同名の鉄道会社が存在するが、当時の会社とは関わりはない。

英国国鉄が誇る高速列車インターシティ125(HST)

第二次世界大戦中、鉄道は再び国の管轄下に置かれた。そして戦後に戦火で傷ついた施設を復旧するため、1948年に鉄道の国有化を行った。

その後、近代化や経営の合理化を行った国鉄だったが、1950年代をピークに営業収益は下がり続け、1960年代には遂に赤字に転落した。その後も路線の廃止や新型車両の導入を行ったが好転せず、1993年の鉄道法により民営化された。


他の欧州各国が国鉄を母体として民営化を行ったのに対し、英国の場合は負債が膨大だった為、事業参入がしやすい様に鉄道車両から車両基地、駅の使用料、列車を運行する運行権まで細分して売却した。

しかし、分割民営化後「ハットフィールド脱線事故(2000年)」等の事故が絶えなかった為、当時線路の保守を行っていたレールトラック社は解散。2002年から国営企業のネットワーク・レールが線路や駅の保守を行うようになり、ようやく改善した。

東海岸本線は運行権が高額な為、運行会社が長続きせず、
現在は国が運営するLNERが一時的に運行している

また、列車の運行はイギリス政府と運行権を数年単位で契約するフランチャイズ方式を取られている。運行権は利用実績に応じて料金が上下する為、需要が高い幹線でも利益が出しづらく、運行会社が参入しては消えてゆく混迷の状態が現在まで続いている。

ステーション・ホール


鉄道の黄金時代を再現した展示となっており、サウス・ヤードから続く線路の上には初期の時代に活躍した車両が所狭しと並べられている。建物内に設置された島式ホームはレストランになっており、ランチタイムの営業の他、閉館後に博物館を貸し切ったディナーイベントが開催される事がある。


右手がレストラン。ランチタイムはビュッフェ方式で食事が振舞われる


王室専用客車


先述の通り英国の鉄道は長らく私鉄が運営していた為、イギリス王室が利用する王室専用客車の製造や整備も各私鉄が行った。

 1. ヴィクトリア女王専用客車



鉄道会社:London & North Western Railway (後のLMS)
設計:Richard Bore
製造:Wolverton
製造年:1869年
車番:802

時の女王ヴィクトリアが居城であるウィンザー城の最寄駅のスラウ駅から約34km離れたロンドン中心部のパディントン駅に移動する際に利用した。元は三軸客車2両だったが、女王の要請により、1895年に2両を結合した六軸客車となった。



車体側面には騎士団勲章の一つ「バス勲章」が描かれている。内装は女王自ら選んだ材料によって贅の限りを尽くしている。車内は日中と夜間の居室、トイレ、化粧室、従者の控室によって構成されていた。二つ目のベットは常に王女達に占領されていたという。

因みに車内の明かりとしてガスランプを女王は拒否したそうで、後年に電球が設置されるまでは蝋燭とオイルランプを使用していた。





 2. 王妃アレクサンドラ専用客車



鉄道会社:London & North Western Railway (後のLMS)
設計:J.C. Park
製造:Wolverton
製造年:1902年
車番:800,801

ヴィクトリア女王の跡を継いだエドワード7世の王妃アレクサンドラ・オブ・デンマークの専用客車。製造時は紫、茶、クリーム色の本体色にドアノブは金メッキが施されていた。現在の塗装は第二次世界大戦中にLMSで再塗装された時の物。車内は王妃の居室、2つのドレスルーム、風呂、トイレ、二つの玄関ホールで構成されていた。

王妃の居室

ドレスルーム

バスルーム

玄関ホール


 3. 王妃メアリー専用客車


鉄道会社:East Coast Joint Stock (後のLNER)
製造:Doncaster
製造年:1908年
車番:395

この車両は元々、国王であるエドワード7世の車両として製造されたが、1910年に国王が崩御されてしまった為、跡を継いだジョージ5世の王妃メアリー・オブ・テックが日帰り旅行用に使用した。因みに姉妹車の396号車は先述の王妃アレクサンドラにあてがわれた。

この客車がメアリー妃の専用列車になったのは1924年にLNERによって改装工事を行ってからとなる。彼女はこの車両を先王から受け継ぐと直ぐに自分が使いやすい様にアレンジを行った。現在でもフロストガラスに彼女のモノグラムを見ることが出来る。彼女は電気式の扇風機やヒーター、照明を設置し、家具も新しいものに交換した。

後にこの車両は現在の女王陛下であるクイーン・エリザベス陛下の専用車両となった。その際、車体の塗装色がクラレット(濃い赤色)に塗り替えられている。最後にこの車両が王室専用列車として運行されたのは1973年の事である。

居室

控室

玄関フロア
車端部には配電盤が目の見える位置に備えてある


蒸気機関車

日本の旧国鉄の蒸気機関車は車輪の配置をアルファベットで示す(例:C62、D51など)が、海外では「先輪-動輪-従輪」の車輪の数で示すホワイト式が一般的だ。

ホワイト式で表記するとC62は4-6-4(通称:ハドソン)、D51は2-8-2(通称:ミカド)と表される。


1. LBSCR B1 Class "214 Gladstone"



鉄道会社:London,Brighton & South Coast Railway (後のSR)
設計:William Stroudley
製造:Brighton
製造年:1882年
車番:214
愛称:Gladstone 
軸配置:0-4-2
引退:1927年

グラッドストンと名付けられたこの機関車はWilliam Stroudleyによって1882年に造られた。1882年から1891年にかけて同様の機関車が36両製造された。

LBSCRの路線は路線長が短く、直線が多い特徴があった為、加速性と高速性の両方を導くために当時主流だった動輪を後方に配置する事はせず、動輪を前方に配置している。その為、最高速度は約60mile/h(96.6km/h)となっている。

機関室


2. LMS Hughes Crab "13000"



鉄道会社:LMS
設計:George Hughes
製造:Horwich
製造年:1926年
車番:13000
軸配置:2-6-0
総生産数:245台

設計者でありLMSの初代CME(Chief Mechanical Engineer)であるGeorge Hughesの名前を取ったヒューズ・クラブと呼ばれるこの機関車は貨客両方に対応したMT機(Mixed Traffic Engine)として設計された。

この機関車の最大の特徴は大きくせり上がったランボードと斜めに傾いたシリンダーである。これは、「車両限界が厳しかった事」及び「ボイラー圧力が180psiと低い為、シリンダーのストロークを伸ばす必要があった事」に起因するものである。この外観的な特徴からCrab(蟹)と呼ばれている。

本機はその初号機で、本機とは別に13065号機がマンチェスターに程近い「East Lancashire Railway」で動態保存されている。しかし、2018年からエンジンのオーバーホールの為、現在は休車となっている。

機関室


コンパートメント車



初期の鉄道客車は馬車から発展した為、車内に通路はなくコンパートメントと呼ばれる小部屋が幾つも連なっており、それぞれの部屋に扉が設けられていた。この構造は英国が発祥で鉄道黎明期に世界中に普及した。このタイプの客車をイギリス客車、イギリス式と呼ぶことがあるのはその為だ。日本も明治期に同型の車両が運用された。


写真提供:National Railway Museum
 
鉄道会社:London & South Western Railway (後のGWR)
製造:Eastleigh
製造年:1903年
車番:3598
構造:ー等~三等コンパートメント客車


一等席

二等席


サウス・ヤード


ステーション・ホールを抜けた先にあるエリアがサウス・ヤードだ。ここでは有料のチケットを購入する事でミニチュア列車やSLがけん引する客車に乗ることが出来る。SLが運転されるのは主に週末と学校が休みの日だ。

このエリアは現在、2025年の博物館リニューアルに向けて工事が行われているので、アトラクションの内容が急遽変更になる可能性がある。




アクセス

NRMがあるヨークはグレートブリテン島のほぼ中央に位置しており、ロンドン キングズ・クロス駅からは特急列車で約2時間、マンチェスターからは約1時間30分で着くことが出来る。

博物館は駅に隣接している為、徒歩でアクセスすることが可能だ。

緩やかなカーブが特徴的なヨーク中央駅は東海岸本線の主要駅だ

コンコースを渡って駅舎とは反対側の西へ向かう

西口は改札機はないが、駅職員が立って検札を行っている

道なりに進み、左手に見えるレンガ造りの建物が博物館の入り口だ。



開館時間


10:00-18:00

※クリスマスの前後は閉館
※イベントや改装の為、臨時休館する事があるので公式HP要確認

入場料


無料
(寄付金歓迎)

あとがき

エントランスのミュージアムショップではオリジナル商品を販売している

NRMはイギリスの鉄道マニアにとって聖地であると共にヨークの目玉観光地となっている。ここの博物館の魅力はただ展示品を飾るだけではなく、「ステーション・ホール」のレストランの様に近くで食事をする事が出来る様になる等、常に新しい事にチャレンジしている事だ。その為、展示してある車両は頻繁に移動をしている。何度来ても新しい発見がある事がリピーターが絶えない理由だと感じた。


後編はコチラから


参考文献・サイト 


  • 「鉄道マニアのためのヨーロッパ鉄道旅行」イカロス出版 ISBN978-4-86320-755-4
  • 「LMSの急客機」著:Double Arrow 制作:英国鉄道研究会
  •  「Black Fiveの栄光」著:Double Arrow 制作:英国鉄道研究会

 

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