先の大戦において九州の航空基地と言えば戦争末期に特攻隊の出撃拠点として利用された海軍の鹿屋飛行場、知覧飛行場や陸軍の都城飛行場が有名だ。現在ではのどかな農村が広がる福岡県南部、熊本との県境にほど近い太刀洗(たちあらい)町にはかつて東洋一と呼ばれた陸軍の飛行場があった。
大陸からほど近い九州北部に陸軍の補給及び訓練基地として1919年(大正8年)に完成したのが陸軍太刀洗飛行場だ。その後、飛行機の整備や改修を手掛けていた渡辺鉄工所(後の九州飛行機)が1937年(昭和12年)に野町工場を太刀洗町に建設する。ここでは、他社設計機のライセンス生産の他、陸上哨戒機「東海」や局地戦闘機「震電」といったユニークな機体の開発も行った。
九州 Q1W 東海 |
九州 J7W1 十八試局地戦闘機 震電 |
しかし、当時の工場や飛行場の面影は殆ど残っていない。それは、終戦間際1945年3月の空襲で壊滅的な被害を受けた為だ。これは1945年6月の福岡市街地への空襲に先立ち九州の防空網に壊滅的な被害を与える目的があった。計6回に渡る波状攻撃で基地は元より太刀洗町の市街地にも多くの爪痕を残した。
太刀洗空襲はB-29爆撃機が用いられた |
展示資料
現在は筑前町が運営する町営記念館だが、元々は地元の有志が甘木鉄道太刀洗駅の旧駅舎を利用して建設した私営の博物館だった。その為、収蔵品は現在も個人所有の物が多く、後述する零式艦上戦闘機三二型以外は撮影が許可されていない。
中島 キ27 九七式戦闘機
1936年10月15日に初飛行し、最終的に3,386機が製造された日本陸軍の単座戦闘機。固定脚であるものの、格闘戦を得意とし操縦性・安定性共に評価が高くノモンハン事件や南方作戦等、第二次世界大戦の緒戦で活躍した。展示機は世界で唯一現存する機体でエンジン不良により博多湾に墜落した機体を1996年に引き上げ、修復したものになる。尚、同機は個人所有の為、通常は撮影不可となっている。
三菱 A6M3 零式艦上戦闘機三二型
言わずと知れたゼロ戦こと零式艦上戦闘機の派生型である三二型。零戦の総生産機数は10,430機であるが、この三二型は1941年6月~1942年12月までの間にわずか343機しか生産されなかった。特徴としては高高度・高速飛行を実現するためにエンジンを2速過給機付きの栄二一型に換装し、主翼翼端をそれまでの丸形折り畳み構造から角型に変更した事だ。
特徴である角型形状の翼端 |
しかし、この角型形状の主翼は空力的に問題があり燃料タンクの小ささと共に長距離飛行で問題となり生産は打ち切りとなった。戦局が長距離飛行の必要がない防空戦に移行してからは搭乗員からの評価も良好であった。
栄二一型エンジン |
展示機は1941年に三菱重工名古屋工場で製造され、南方方面を転戦しながらマーシャル諸島タロア島でその役目を終えた。戦後、タロアのジャングルの中に眠っていたところ、1978年に元米軍のスティーブ・アイケン氏が発見し、サイパン島で展示された。これを福岡航空宇宙協会が譲り受け九州各地で展示された後、2009年同記念館の新館開設にあわせて協会から寄贈された。こちらも世界で唯一現存する機体だ。
コックピット内 |
コックピット計器盤のレプリカ |
基本情報
開館時間:9:00~17:00(最終入場16:30)
休館日:年末(12月26日~12月31日)
入場料:大人600円、高校生500円、小中学生400円
アクセス
電車:甘木鉄道太刀洗駅下車徒歩5分
車:大分自動車道 筑後小群ICから約10分、無料駐車場あり
あとがき
売店ではオリジナルグッズの販売も行っている |
館内撮影不可と言う事もあり、認知度は高いとは言えない当館ではあるが、昨年筆者が訪れた際には地元の小中学生の他に中国からの団体観光客も訪れていた。貴重な資料が豊富なので、福岡にお越しの際は是非訪れてみては如何だろうか。
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