毎年8月にのみ開館する私設博物館が山梨県河口湖周辺の別荘地帯に存在する。
名前は「河口湖自動車博物館」
元レーサーであり、実業家の原田信雄氏が収集したコレクションを展示している。この博物館の主な展示は自動車館に収蔵されたクラシックカーであるが、自動車館の他に飛行館と言う展示施設がある。この飛行館では復元された第二次世界大戦中の旧日本軍機と引退した自衛隊機が展示されている。
今回は河口湖自動車博物館の飛行館に収蔵されているコレクションを紹介する。 (自動車館に関しては需要があれば今後記事にする可能性有)
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陸王 1200cc (1937年製造) |
屋内展示
1. キ43 一式戦闘機 "隼" 一型
陸軍の一式戦闘機"隼(ハヤブサ)"。同時期に海軍が開発した零戦の陰に隠れがちだが、陸軍の戦闘機では最も多い5,751機が生産された傑作戦闘機。満州国やタイにも輸出された。戦後もフランス、インドネシア、中華民国、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国などで使用された。
本機は英国から購入した二機分の残骸を基にリバースエンジニアリングを施し復元を行った機体。現在では外板に濃緑色の塗装が施されている。因みに生産機数の多い本機はアメリカ、ロシア、インドネシア、オーストラリアなどで保存されている。日本では鹿児島県の知覧特攻平和会館にも展示されているが、そちらは映画の撮影用に製作したレプリカである。
大戦中の戦闘機に詳しくない人から見たら零戦と見分けがつかない方もいらっしゃるかもしれないので、外観から判別できる本機の特徴を紹介する。
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零戦と同じ栄エンジンを搭載しているが、エンジン前面の環状ラジエータを装備している 因みに栄は海軍でのエンジン呼称で、陸軍ではハ115と呼ばれていた |
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エンジンと操縦席の間にアンテナ支柱がある これは後に開発される二式単座戦闘機"鍾馗"も同様の特徴を持っている
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主翼の前縁が零戦は緩やかな弧を描いているのに対し、 隼は機体軸の水平方向に直線的な形状をしている これは中島飛行機が設計した戦闘機の特徴となっている |
2. 零式艦上戦闘機 二一型 中島飛行機製91518号機
言わずと知れた零戦こと零式艦上戦闘機。本機は1940年末から生産された空母への着艦機構を持つ二一型。真珠湾攻撃やミッドウェー海戦など太平洋戦争緒戦で活躍した。
当初は開発元である三菱重工で製造が行われたが、1941年末から中島飛行機においてライセンス生産が行われた。三菱重工製が740機に対し、中島飛行機製は2,821機と倍以上に多い。これは、三菱重工の生産が三二型等に移行した為である。
三二型については過去記事↓を参照
本機はミクロネシア連邦のヤップ島で発見された残骸を基にリバースエンジニアリングを行った機体である。筆者が訪れた際は真珠湾攻撃時の空母赤城搭載機「AI-101 木村 惟夫一飛曹機」の塗装が施されていた。
3. 零式艦上戦闘機 二一型 中島飛行機製92217号機
本機は前述の零戦と同じ二一型であるが、機体構造を分かりやすくする為にオリジナル部品を残したスケルトンモデルとなっている。
4. 零式艦上戦闘機 五二型 中島飛行機製1493号機
零戦の派生型の中で最も生産機数の多い五二型。1943年8月から三菱重工で生産が始まり、1943年12月からは中島飛行機でもライセンス生産行われた。特徴は翼端の折り畳み機構を廃して主翼を1m短くし、エンジンは三二型で採用した二速過給機付きの栄二一エンジンを使用した。また、エンジンの排気管を変更し、エンジン排気で推力を得られる様に改良した。
本機は二一型同様、ミクロネシア連邦のヤップ島で発見された残骸を基にリバースエンジニアリングを行った機体である。
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エンジンの排気管が胴体に沿って配置されている点が大きな特徴 |
4. 一式陸上攻撃機 22型 三菱製12017号機
海軍が開発した双発攻撃機。主翼内を燃料タンクとするインテグラル燃料タンクを採用する事によって2,000km以上の長大な航続距離を有していた。
燃料タンクの防弾が不十分だった為、被弾したら直ぐに燃え上がるという意味で「ワンショット・ライター」や「フライング・シガレット」と呼ばれた本機であるが、米軍の戦闘記録には機銃を命中させてもなかなか撃墜に至らなかった等の記録もあり、本機が飛びぬけて防御力に難があったという意見には未だに議論が尽きない。
イギリス軍でもマレー沖海戦で戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスを撃沈した当機は一定の評価がなされている。詰まる所、本機の損失率の高さは十分な護衛戦闘機を用意できなかった日本海軍の運用に問題があったのでは無いかと筆者は考える。
本機はミクロネシア連邦ヤップ島で発見された残骸を基にリバースエンジニアリングを施された機体。オリジナル部品は主翼後方から垂直尾翼までで、機首部分は残された図面類やソロモン諸島バラレ島に今も残る一式陸攻の残骸を基に復元された。因みにバラレ島の一式陸攻の方が原形を留めているがソロモン諸島はこれら大戦中の遺物の持ち出しを法律で禁止している。
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機首機銃座(九二式7.7ミリ機銃) |
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胴体上面機銃ターレット(九九式20ミリ機銃) |
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表面の違いからオリジナル部(手前)と追加部(奥)の境が分かる |
5. 九三式中等練習機 "赤とんぼ"
海軍が1934年から採用した中等練習機。旧日本軍の練習機は目立つように橙色に塗られていた為、陸軍の九五式中等練習機等と共に赤とんぼと呼ばれていた。使い勝手の良さから終戦までに5,770機が生産された。
戦争末期には神風特別攻撃隊としても使用された。これは当初、最新鋭機は防空任務に使用する為、数の揃っていた本機を特攻機として利用した経緯がある。ともあれ、木製である事が幸いしてレーダーに映りにくく、近接信管が作動しない為、鈍足であるにも関わらずなかなか撃墜に至らず、フレッチャー級駆逐艦USS Callaghanを沈める戦果を残している。
本機はレプリカで、現存する機体はインドネシアのDirgantara Mandala Museumに保存されている一機のみである。
屋外展示
1. ロッキード T-33A シューティングスター
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機体番号:51-5639 |
アメリカ軍初の複座ジェット練習機であるT-33は西側諸国で広く使用され、総生産機数は6,557機。川崎航空機(現在の川崎重工業)でもライセンス生産が行われ、1955年から210機が生産された。
航空自衛隊では国産機210機、供与機68機の計278機を運用していた。1980年代から現在の川崎T-4練習機に順次移行され、1999年11月に起こった入間川墜落事件をきっかけに全機飛行停止、そのまま2000年に全機引退した。
T-33Aは自衛隊施設に17機、民間施設に28機の計48機が日本国内で保存されている。
2. ノースアメリカン F-86F セイバー
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機体番号:09-7962 |
朝鮮戦争にてデビューをしたF-86Fはソ連のMiG-15などと並んで第一世代ジェット戦闘機の草分け的存在だ。T-33と同様に西側陣営に広く使用され、総生産機数は9,860機を数える。新三菱(現在の三菱重工)でも299機が生産された。当初はアメリカから部品を輸入して日本で組み立てるノックダウン生産だったが、最終的にほぼ全ての部品の国産化したライセンス生産に切り替えた。
航空自衛隊では1955年から1982年にかけて国産機299機、供与機135機の計434機が運用された。1960年に結成された初代ブルーインパルスの機体としても知られており、1964年の東京オリンピックでは東京の空に五輪の輪を描いたエピソードが有名だ。
F-86Fは自衛隊施設に20機、民間施設に13機の計33機が日本国内で保存されている。本機はブルーインパルスの塗装を施されている。
3. ロッキード F-104 スターファイター
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機体番号:26-5007 |
航空自衛隊がF-86Fの次に導入したジェット戦闘機はロッキード社が開発したF-104スターファイターだ。登場当初は「最後の有人戦闘機」とも呼ばれた。総生産機数は2,578機で、三菱重工でも197機が生産された。
航空自衛隊では1961年から運用が開始され、F-15Jに置き換わる形で1986年に実戦部隊から引退した。本機は複座型のDJタイプである。
4. カーチス C-46 コマンドー
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61-1127 |
C-46はダグラス DC-3に対抗するためにカーチス社が開発した旅客機CW-20を原型とする輸送機で、第二次世界大戦中に3,000機以上が生産された。戦後は、世界中の国々に供与され、1955年には創設後間もない航空自衛隊にも配備された。
C-46は自衛隊基地に4機、民間施設に3機の計7機が保存されている。
開館時期・開館時間
開館時期:8月1日~8月31日
※2020年はCOVID-19パンデミックの影響で中止
開館時間:10:00~16:00
入場料
飛行館:大人 1,000円、子供(15歳以下) 500円
自動車館:大人 1,000円、子供(15歳以下) 500円
アクセス
中央自動車道富士吉田線河口湖ICから県道707号線で富士山吉田口方面に南下
富士スバルライン手前の「胎内洞窟入口」交差点を右折し約1.8km
撮影に関して注意事項
河口湖自動車博物館・飛行館ではスマートフォンや携帯電話での撮影は可能だが、一眼レフやデジタルカメラ等の携帯以外のカメラは撮影及び持ち込みが禁止されている。
博物館に訪れる際はくれぐれも入場前に持ち物のチェックをお願いしたい。
あとがき
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ビンセント ブラックシャドウ |
今回は日本では珍しい飛行機を展示している私設博物館を紹介した。海外では車や飛行機のコレクターによる私設博物館は一般的であるが、日本では数少ない存在となっている。理由としては近年まで機械遺産を残すという文化が芽吹かなかった事、高温多湿な環境により屋外での保存は非常に困難な事などが上げられる。
次回投稿予定日
2020年12月25日 (金)
公式ホームページ
参考文献
「戦闘機大百科 -第二次世界大戦編-」
出版社:株式会社アルゴノート, ISBN:978-4-914974-22-0