2020年12月25日金曜日

B滑走路に着陸する機体を間近で見れる! | 成田空港 十余三

 

成田空港は都心からも車でならアクセスし易く、日本では珍しい海外の航空会社も飛来する為、関東の航空ファンにとって人気の撮影地となっている。

しかし、撮影地が豊富なA滑走路と異なり、B滑走路は撮影地が限られている。これは、B滑走路南側エリアの土地買収を巡って起こった成田闘争の影響が少なからず存在する。南側エリアは現在もB滑走路延長線上に私有地が点在する為、撮影は難しい。

その為、今回紹介するB滑走路北側エリアは数少ないB滑走路撮影スポットである。


撮影の手引き



撮影エリアをa~cの3つに分け、それぞれの位置からの撮り方と作例を紹介する


a. 進入灯東側



進入灯(ALS)東側の畑エリア、進入灯や畑を絡めた写真が魅力。午前順光だが、夕日を綺麗に写す事が出来るスポットとしても有名。周囲が畑な為、誤って入らない様に注意。また、農作業の邪魔にならない様に立ち位置や車の置き場所にも配慮が必要。


進入灯(左側)の延長上から飛来する

どの機体も同じ進入ルートなので置きピンが利用できる

滑走路前方に柵がある為、接地する瞬間は撮影出来ない


b. アンダーパス



進入灯(ALS)の下を潜るアンダーパスが東関東自動車道と並行して掘られている。ここでは進入灯を絡めた写真を撮ることが出来る。自動車やバイクの往来に注意



c. 進入灯西側



進入灯の西側も"a"地点と同様、周囲に畑が広がっている。午後順光。車を駐車するスペースは無い

2020年8月に全機引退したANAウイングス B737-500(スーパードルフィン)


逆光、雲は悪条件?



逆光や曇天と聞くと一般に写真撮影には悪条件と思われがちだ。しかし、条件次第では順光状態では撮れない印象的な写真を撮ることが出来る。

まず逆光状態の場合、太陽が機体で隠れるように撮影すると機体をシルエットにして外見的特徴を際立たせる事が出来る。



次に雲についてだが、雲の種類によって写り方が大きく変わってくる。層雲の様に停滞した雲は模様が無く絵にならない事が多いが、夏場に見られる積乱雲や積雲は雲の模様がはっきりしているので写真にした時に印象的な絵となりやすい。

自然現象なので狙って撮れるような物ではないが、天気が悪くても諦めず撮っていると思わぬ収穫が得られる事がある



美しい夕焼けを撮ろう!



前述の"a"地点は夕焼けのスポットとしても知られている。周りに遮るものがない為、開放的な写真を撮ることが出来る。

夕日を撮ったことがあるカメラマンなら誰でも経験があると思うが、夕日は時間に伴い明るさや光の色が劇的に変化する。これらは気象条件によって見え方が異なるのでシャッターチャンスを逃さない事も大切だ。


16:00
17:00
18:00


ここで撮れる作品




まとめ


  • 進入灯東側:午前順光、進入灯西側:午後順光
  • 焦点距離:24mm~70mm (風景を絡めた写真の場合)
  • トイレ、駐車場無し
  • 約700m東にコンビニ有


アクセス


撮影エリアは東関東自動車道の北側に並行する道沿い

成田空港から向かう場合、B滑走路東側を県道115号線を使って北上するルートと、滑走路西側を十余三東雲の丘を経由して北上するルートがある




あとがき


今回の投稿が2020年最後の投稿になります。2020年を振り返ってみると、今年はCOVID-19パンデミックの影響で航空業界は試練の年だったと思います。一日も早い終息と平穏が戻ってくる事を祈っております。皆様何方もよいお年をお迎えください。



次回投稿予定日


2021年1月1日 (金)



参考文献


  • 「全国空港ウォッチングガイド」出版社:イカロス出版、ISBN978-4-8022-0192-6



2020年12月23日水曜日

水面に映る桜と飛行機が織りなす絶景! | 成田空港 芝山水辺の里

2018年3月撮影

今回紹介する「芝山水辺の里」は「ひこうきの丘」と同じく、成田空港から借りた土地を芝山町が自然公園として再開発した場所だ。公園の南側は以前紹介した「グリーンポート・エコ・アグリパーク」と繋がっている。

このスポットは約4年前に某雑誌で取り上げられた事で一躍有名になった。池の水面に反射する桜の木と飛行機の姿は実に幻想的で美しい。桜の時期になると大勢のカメラマンが詰め掛けている。


34L撮影地の位置関係


撮影の流れ



リフレクション(反射)を利用した撮影は水面が穏やかである事が重要だ。従って風が吹いてる日は小波が立って上手く反射してくれない。また、日が昇ってから時間が経つと池の魚が活動を開始し、水面に波模様が発生する。即ち朝一番の到着便が飛来する時間帯がシャッターチャンスとなる。

2018年3月撮影

残念な事に3年程前から早朝の滑走路運用が変わり、着陸機がB滑走路にも回される様になった。その為、一部の大型機を除き上空を飛ぶ機会は減ってしまった。更に今年はコロナウィルス(COVID-19)の感染が世界規模で広まった事によるフライトの減便及び休止が相次いだ為、シャッターチャンスは非常に少なくなった。

風によって水面に波目が出来ている


ここで撮れる作品




まとめ


  • 水面の反射を利用した写真が撮れる
  • 早朝に順光
  • 焦点距離:~24mm (広角レンズ必須)
  • トイレ、駐車場あり

アクセス


無料駐車場あり
空港外周道路である県道106号線沿いに進み、
航空科学博物館の南側に入口あり



あとがき


この記事は2020年4月3日に投降した記事を再編集し、撮影地ごとに記事を分割、新たな画像を追加したものとなっています。


参考文献


  • 「全国空港ウォッチングガイド」出版社:イカロス出版、ISBN978-4-8022-0192-6


2020年12月22日火曜日

A滑走路着陸機の定番撮影スポット | 成田空港 ひこうきの丘


A滑走路端(34L)には航空科学博物館などがあり、非常に多くの撮影スポットが点在するエリアとなっている。その中でも現在人気が高まっているのが、今回紹介する「ひこうきの丘」だ。

この場所は、長らく成田空港が管理する調整地だったが、2016年に芝山町が空港から用地を借りて公園として整備された。一時期は急激な人気上昇により、駐車場が不足する事態となっていたが、現在ではトイレが整備され駐車場も拡張された為、以前より混雑は解消された。



34L撮影スポット位置関係


撮影の流れ


ひこうきの丘における立ち位置は大きく分けて2つある

1. ハート広場


ひこうきの丘の頂上にあるハートの形をした広場は周囲を見渡すことが出来るため、障害物が少なく容易に着陸機を撮影出来る最も人気のエリアだ

眼下に後述の臨時駐車場が見える

芝山の倉庫群を背景にファイナルアプローチに入るANAのB777-300
樹木と機体が被りやすいので注意

航空科学博物館がフレームインする辺りで真横を撮れる
着陸機が混み合っている時間帯はB滑走路に降りる機体と2ショットも撮れる



2. 臨時駐車場


ひこうきの丘から一段下がった位置にある臨時駐車場では竹林と絡めた写真を撮ることが出来る

臨時駐車場の東側にある竹林にそって進入する


高さが低い為、滑走路に接地する瞬間は撮れない


ここで撮れる作品






まとめ


  • 午後順光
  • 南風運用時に着陸機撮影可能
  • 焦点距離:70mm前後
  • トイレ、駐車場あり

アクセス


成田空港外周道路である県道106号線の南端に位置する
大型駐車場完備

 

あとがき


この記事は2020年1月3日に投降した記事を再編集し、撮影地ごとに記事を分割、新たな画像を追加したものとなっています。ブログをはじめて1年が経過し、記事数も増えてきたので定期的に古い記事を見やすくしていきたいと思います。


参考文献


  • 「全国空港ウォッチングガイド」出版社:イカロス出版、ISBN978-4-8022-0192-6



2020年12月18日金曜日

個人所有とは思えない充実した展示が魅力 | 河口湖自動車博物館・飛行館


 毎年8月にのみ開館する私設博物館が山梨県河口湖周辺の別荘地帯に存在する。
名前は「河口湖自動車博物館」

元レーサーであり、実業家の原田信雄氏が収集したコレクションを展示している。この博物館の主な展示は自動車館に収蔵されたクラシックカーであるが、自動車館の他に飛行館と言う展示施設がある。この飛行館では復元された第二次世界大戦中の旧日本軍機と引退した自衛隊機が展示されている。

今回は河口湖自動車博物館の飛行館に収蔵されているコレクションを紹介する。 (自動車館に関しては需要があれば今後記事にする可能性有)


陸王 1200cc (1937年製造)


屋内展示



1. キ43 一式戦闘機 "隼" 一型



陸軍の一式戦闘機"隼(ハヤブサ)"。同時期に海軍が開発した零戦の陰に隠れがちだが、陸軍の戦闘機では最も多い5,751機が生産された傑作戦闘機。満州国やタイにも輸出された。戦後もフランス、インドネシア、中華民国、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国などで使用された。

本機は英国から購入した二機分の残骸を基にリバースエンジニアリングを施し復元を行った機体。現在では外板に濃緑色の塗装が施されている。因みに生産機数の多い本機はアメリカ、ロシア、インドネシア、オーストラリアなどで保存されている。日本では鹿児島県の知覧特攻平和会館にも展示されているが、そちらは映画の撮影用に製作したレプリカである。

大戦中の戦闘機に詳しくない人から見たら零戦と見分けがつかない方もいらっしゃるかもしれないので、外観から判別できる本機の特徴を紹介する。

零戦と同じ栄エンジンを搭載しているが、エンジン前面の環状ラジエータを装備している
因みに栄は海軍でのエンジン呼称で、陸軍ではハ115と呼ばれていた

エンジンと操縦席の間にアンテナ支柱がある
これは後に開発される二式単座戦闘機"鍾馗"も同様の特徴を持っている

主翼の前縁が零戦は緩やかな弧を描いているのに対し、
隼は機体軸の水平方向に直線的な形状をしている
これは中島飛行機が設計した戦闘機の特徴となっている


2. 零式艦上戦闘機 二一型 中島飛行機製91518号機



言わずと知れた零戦こと零式艦上戦闘機。本機は1940年末から生産された空母への着艦機構を持つ二一型。真珠湾攻撃やミッドウェー海戦など太平洋戦争緒戦で活躍した。

当初は開発元である三菱重工で製造が行われたが、1941年末から中島飛行機においてライセンス生産が行われた。三菱重工製が740機に対し、中島飛行機製は2,821機と倍以上に多い。これは、三菱重工の生産が三二型等に移行した為である。

三二型については過去記事↓を参照


本機はミクロネシア連邦のヤップ島で発見された残骸を基にリバースエンジニアリングを行った機体である。筆者が訪れた際は真珠湾攻撃時の空母赤城搭載機「AI-101 木村 惟夫一飛曹機」の塗装が施されていた。


3. 零式艦上戦闘機 二一型 中島飛行機製92217号機



本機は前述の零戦と同じ二一型であるが、機体構造を分かりやすくする為にオリジナル部品を残したスケルトンモデルとなっている。



4. 零式艦上戦闘機 五二型 中島飛行機製1493号機



零戦の派生型の中で最も生産機数の多い五二型。1943年8月から三菱重工で生産が始まり、1943年12月からは中島飛行機でもライセンス生産行われた。特徴は翼端の折り畳み機構を廃して主翼を1m短くし、エンジンは三二型で採用した二速過給機付きの栄二一エンジンを使用した。また、エンジンの排気管を変更し、エンジン排気で推力を得られる様に改良した。

本機は二一型同様、ミクロネシア連邦のヤップ島で発見された残骸を基にリバースエンジニアリングを行った機体である。


エンジンの排気管が胴体に沿って配置されている点が大きな特徴


4. 一式陸上攻撃機 22型 三菱製12017号機



海軍が開発した双発攻撃機。主翼内を燃料タンクとするインテグラル燃料タンクを採用する事によって2,000km以上の長大な航続距離を有していた。

燃料タンクの防弾が不十分だった為、被弾したら直ぐに燃え上がるという意味で「ワンショット・ライター」や「フライング・シガレット」と呼ばれた本機であるが、米軍の戦闘記録には機銃を命中させてもなかなか撃墜に至らなかった等の記録もあり、本機が飛びぬけて防御力に難があったという意見には未だに議論が尽きない。

イギリス軍でもマレー沖海戦で戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスを撃沈した当機は一定の評価がなされている。詰まる所、本機の損失率の高さは十分な護衛戦闘機を用意できなかった日本海軍の運用に問題があったのでは無いかと筆者は考える。

本機はミクロネシア連邦ヤップ島で発見された残骸を基にリバースエンジニアリングを施された機体。オリジナル部品は主翼後方から垂直尾翼までで、機首部分は残された図面類やソロモン諸島バラレ島に今も残る一式陸攻の残骸を基に復元された。因みにバラレ島の一式陸攻の方が原形を留めているがソロモン諸島はこれら大戦中の遺物の持ち出しを法律で禁止している。


機首機銃座(九二式7.7ミリ機銃)

胴体上面機銃ターレット(九九式20ミリ機銃)

表面の違いからオリジナル部(手前)と追加部(奥)の境が分かる


5. 九三式中等練習機 "赤とんぼ"



海軍が1934年から採用した中等練習機。旧日本軍の練習機は目立つように橙色に塗られていた為、陸軍の九五式中等練習機等と共に赤とんぼと呼ばれていた。使い勝手の良さから終戦までに5,770機が生産された。

戦争末期には神風特別攻撃隊としても使用された。これは当初、最新鋭機は防空任務に使用する為、数の揃っていた本機を特攻機として利用した経緯がある。ともあれ、木製である事が幸いしてレーダーに映りにくく、近接信管が作動しない為、鈍足であるにも関わらずなかなか撃墜に至らず、フレッチャー級駆逐艦USS Callaghanを沈める戦果を残している。

本機はレプリカで、現存する機体はインドネシアのDirgantara Mandala Museumに保存されている一機のみである。


屋外展示



1. ロッキード T-33A シューティングスター


機体番号:51-5639

アメリカ軍初の複座ジェット練習機であるT-33は西側諸国で広く使用され、総生産機数は6,557機。川崎航空機(現在の川崎重工業)でもライセンス生産が行われ、1955年から210機が生産された。

航空自衛隊では国産機210機、供与機68機の計278機を運用していた。1980年代から現在の川崎T-4練習機に順次移行され、1999年11月に起こった入間川墜落事件をきっかけに全機飛行停止、そのまま2000年に全機引退した。

T-33Aは自衛隊施設に17機、民間施設に28機の計48機が日本国内で保存されている。


2. ノースアメリカン F-86F セイバー


機体番号:09-7962

朝鮮戦争にてデビューをしたF-86Fはソ連のMiG-15などと並んで第一世代ジェット戦闘機の草分け的存在だ。T-33と同様に西側陣営に広く使用され、総生産機数は9,860機を数える。新三菱(現在の三菱重工)でも299機が生産された。当初はアメリカから部品を輸入して日本で組み立てるノックダウン生産だったが、最終的にほぼ全ての部品の国産化したライセンス生産に切り替えた。

航空自衛隊では1955年から1982年にかけて国産機299機、供与機135機の計434機が運用された。1960年に結成された初代ブルーインパルスの機体としても知られており、1964年の東京オリンピックでは東京の空に五輪の輪を描いたエピソードが有名だ。

F-86Fは自衛隊施設に20機、民間施設に13機の計33機が日本国内で保存されている。本機はブルーインパルスの塗装を施されている。


3. ロッキード F-104 スターファイター


機体番号:26-5007

航空自衛隊がF-86Fの次に導入したジェット戦闘機はロッキード社が開発したF-104スターファイターだ。登場当初は「最後の有人戦闘機」とも呼ばれた。総生産機数は2,578機で、三菱重工でも197機が生産された。

航空自衛隊では1961年から運用が開始され、F-15Jに置き換わる形で1986年に実戦部隊から引退した。本機は複座型のDJタイプである。


4. カーチス C-46 コマンドー


61-1127

C-46はダグラス DC-3に対抗するためにカーチス社が開発した旅客機CW-20を原型とする輸送機で、第二次世界大戦中に3,000機以上が生産された。戦後は、世界中の国々に供与され、1955年には創設後間もない航空自衛隊にも配備された。

C-46は自衛隊基地に4機、民間施設に3機の計7機が保存されている。


開館時期・開館時間


開館時期:8月1日~8月31日

※2020年はCOVID-19パンデミックの影響で中止

開館時間:10:00~16:00


入場料


飛行館:大人 1,000円、子供(15歳以下) 500円

自動車館:大人 1,000円、子供(15歳以下) 500円


アクセス


中央自動車道富士吉田線河口湖ICから県道707号線で富士山吉田口方面に南下

富士スバルライン手前の「胎内洞窟入口」交差点を右折し約1.8km




撮影に関して注意事項

河口湖自動車博物館・飛行館ではスマートフォンや携帯電話での撮影は可能だが、一眼レフやデジタルカメラ等の携帯以外のカメラは撮影及び持ち込みが禁止されている。

博物館に訪れる際はくれぐれも入場前に持ち物のチェックをお願いしたい。


あとがき


ビンセント ブラックシャドウ

今回は日本では珍しい飛行機を展示している私設博物館を紹介した。海外では車や飛行機のコレクターによる私設博物館は一般的であるが、日本では数少ない存在となっている。理由としては近年まで機械遺産を残すという文化が芽吹かなかった事、高温多湿な環境により屋外での保存は非常に困難な事などが上げられる。


次回投稿予定日


2020年12月25日 (金)


公式ホームページ


参考サイト

参考文献

「戦闘機大百科 -第二次世界大戦編-」
出版社:株式会社アルゴノート, ISBN:978-4-914974-22-0