関東近郊に位置する茨城県つくばみらい市。JR常磐線とつくばエクスプレスに挟まれた田園地帯の一角に佇む市営公園「きらくやまふれあいの丘」には貴重な鉄道車両が展示されている。
この機関車は1935年に日本車輌製造で製造され、昭和製鋼所の鞍山(あんざん)工場(現在の鞍山鋼鉄集団公司)で入替機として使用された。1995年に引退し、1997年1月に有志によって現在のつくばみらい市にやって来た。
車体構造
プレニ(PL2)とは軸配置2-6-2の通称「プレーリー」と南満州鉄道で2番目に正式採用されたプレーリー配置の機関車である事を意味している。プレニ形は日本車輌以外にも大連にあった満鉄沙河口工場(後に大連工場に改名)にて6両(220~225号機)が製造されている。
戦後に中国で製造された車両はYJ形「躍進」と呼ばれ、1958年~1961年までの間に計202両が済南、唐山、牡丹江の工場で製造された。
因みに先代のプレ(PL1)形は1908年にアメリカのアメリカンロコモーティブ(アルコ)社で35両(200~234)が製造された。南満州鉄道の線路幅を日本と同じ狭軌から中国や朝鮮半島と同じ標準軌に改軌した1907年当時、日本は幹線向け蒸気機関車の製造がまだ未熟だった為、満鉄の蒸気機関車はアメリカの二大蒸気機関車メーカであるアルコ社とボールドウィン社の機関車が大半を占めた。外国製の機関車と客車が大半を占める状態は1931年まで続いた。
シリンダーに直結しているメインロッドが第3動輪に繋がっているのが特徴 一般的には第2動輪に繋がっている事が多い |
入替機と言う事もあり、バック時の視界確保の為、 C56形に見られる様なスローピングバックテンダーを備えている |
スペック比較
プレニ形と同時期に登場したC56形蒸気機関車はローカル線から入替機まで様々なシーンで活躍した万能機関車だ。車体スケールも本機と比較的近い為、性能比較をしてみる。
プレニ形の動輪径は1,370mmとC56の動輪径1,400mmよりも小型だが、全長はプレニ形の方が4m程長い為、運転室下に従輪がついている。
プレニ形の従輪 |
現状
以前は美しい黒の本体色に真っ赤な車輪と言った出で立ちであったが、現在は屋外の展示と言う事も相まって車体の劣化が著しい。以前は運転台に入ることが出来たが、車体の劣化が著しく危険な為、現在はステップを撤去して入ることが出来ない。
車体右側 |
コンプレッサ |
右側シリンダ 劣化が激しく下部は板で覆われている |
左側シリンダ 右側よりも原形に近い姿だが底部が劣化している |
機関室 窓は欠損しているが、加減弁等は無事のようだ |
スローピングバックテンダ |
アクセス
鉄道駅から距離が離れている為、マイカー等でのアクセスを推奨する。
「きらくやまふれあいの丘」
常磐自動車道 谷田部ICから一般道経由 約15分
無料駐車場あり
あとがき
今回なぜこの蒸気機関車にスポットを当てたかと言うと、前回紹介した英国での保存活動と対比する為だ。誠に残念なことに日本では古い乗り物の展示には熱心であるものの、保存状態を維持するといった分野では未成熟であると言える。
大規模な修復作業には多額の資金が必要となる為、良好な保存状態を維持する為には日常的に手入れをする事が重要となってくるが、個人(または企業)が保存したものの、維持に手が回らず自治体に移管される、若しくは廃棄されるといった事例が後を絶たない。
つまるところ保存活動には費用と手間が必要で、前者はクラウドファンディング等で集められる可能性があるが、後者は人材を育成せねばならず保存活動が長続きしない原因の一つとなっている。
飛行機や鉄道車両が引退すると保存に向けた話が話題となるが、保存する事よりも維持をする事の方が遥かに難しいという事が知れ渡ってほしいと筆者は思う。
次回投稿予定日
2020年11月20日(金)
参考文献
- 「写真に見る満州鉄道」著:高木宏之、出版社:光人社 ISBN978-4-7698-1480-1
- 「図説 満鉄」著:西澤泰彦、出版社:河出書房新社 ISBN4-309-72645-3
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