2021年1月8日金曜日

戦争の記憶を後世に語るメモリアル | 帝国戦争博物館 ロンドン

 

本ブログの記念すべき第1回で紹介した「帝国戦争博物館 ダックスフォード」は黎明期から現代に至るまでに活躍した飛行機や陸上兵器を展示した産業博物館であった。

↓IWMダックスフォードについては過去記事を参照


対して、今回紹介するロンドン館は当時の写真や遺物から戦争の記憶を伝えるメモリアルとなっている。同じ帝国戦争博物館(以下IWM)でも展示の内容は大きく異なる。

IWMロンドンはウォータールー駅や国会議事堂からもほど近いロンドン中心部に位置している。創業時は第一回万国博覧会が開かれた水晶宮に入居していたが、2度の移転を経て1936年に現在の場所に落ち着いた。元々病院だった建物を再利用しており、コリント式の柱と背の高いドームが特徴的だ。エントランス前には英国海軍の15インチ砲が2門展示されている。


42口径15インチ砲



1912年に設計された15インチ砲は1914年時点においてイギリス海軍で最も新しく、大きく、強力な艦載砲であった。この大砲はクイーンエリザベス級戦艦を始めとする22隻の艦船に搭載され、その内の2門が1968年に現在の位置に展示された。

向かって左側の大砲はリヴェンジ級(以下R級)戦艦の3番艦である「HMS ラミリーズ」に搭載されていた。HMSラミリーズは1916年に進水し、1920年に希土戦争において初めての実戦に参加した。第二次世界大戦では1940年11月に地中海でイタリア軍の要塞や艦艇と砲火を交えた(スパルティヴェント岬沖海戦)。1941年の改装においてこの大砲はHMSラミリーズから陸に降ろされた。


HMS RAMILLIES
HMS RAMILLIES © IWM (FL 9004)


右側の大砲はR級戦艦の2番艦「HMS レゾリューション」に1915年~1938年までの間搭載されていた。その後、ロバーツ級モニター艦のネームシップ「HMS ロバーツ」に搭載され、1944年のノルマンディー上陸作戦では支援砲撃を行った。

HMS RESOLUTION
HMS RESOLUTION © IWM (FL 18214)

HMS ROBERTS
HMS ROBERTS © IWM (FL 3787)


エントランスホール



博物館に入ると最上階から最下層まで吹抜けとなったエントランスホールが見えてくる。ここには英国の傑作戦闘機スピットファイア、ソ連が開発した傑作戦車T-34、ドイツが開発した世界初の巡航ミサイルV1、弾道ミサイルV2等が展示されている。


スピットファイア Mk.Ia R6915機
派生型が多い同機の中で最初に量産されたモデル
主翼下のラジエータとオイルクーラが左右非対称である事が特徴


T-34/85

博物館は0階~5階までの6層構造となっている。最下層の0階には第一次世界大戦の展示とミュージアムショップがあり、1階には第二次世界大戦の展示と書店、博物館の入口がある。今回は二つの世界大戦における展示を一部紹介する。

因みに写真撮影が禁止されている為、紹介する事は出来ないが3階、4階にはホロコーストに関する展示がある。日本のテレビ局では放送が出来ない様なショッキングな写真もあり、ホロコーストの恐ろしさを伝えている。


Floor-0 第一次世界大戦



この博物館で最も充実した展示スペースが設けられているのが第一次世界大戦の展示だ。第一次世界大戦は戦争の近代化が一気に進んだ事が広く知られている。近代化が進んだ要因の一つとして兵士が使用する銃の変化がある。


リー・エンフィールド小銃(奥)、ルイス軽機関銃(手前)

19世紀中頃から、歩兵の武器は従来のマスケット銃からボルトアクションライフルに変化して行った。これにより飛距離と命中率が格段に伸び、機関銃等の支援火器の発達も相まって、兵士は身を隠す必要性に迫られた。その様な経緯で誕生したのが塹壕である。重火器で武装された防衛線を突破する事は非常に難しく、お互いの塹壕同士が睨みあう塹壕戦に発展した。


リーベンス投射器(左)、ガス砲弾各種(右)

塹壕は敵の攻撃を回避するのには有効な手段だが、戦線が膠着してしまう欠点も持ち合わせている。そこで敵の防衛線を突破する為に開発された兵器が戦車や戦闘機、毒ガス兵器である。だが、これらを使用しても当時の技術力では強固な防衛陣地の突破は困難であった。


米、英、仏陸軍の軍服

兵士が身に着ける軍服のデザインもこの戦争を通して変化していった。戦列歩兵の時代では遠くからでも視認できる赤や青色の目立つ軍服が主流だった。しかし、こういった派手な服装はスナイパーからしてみれば格好の獲物である。戦争が進むにつれて周囲の色に溶け込むような地味な色へと変化していった。


開戦初期の軍服

スナイパーが着用した迷彩服


Floor-1 第二次世界大戦


アブロ ランカスター Mk.1 爆撃機 683号機

第一次世界大戦の展示は様々な資料を基に歴史を振り返る体験型の展示であったが、第二次世界大戦の展示はあくまで展示物の解説に留めている事が本館の特徴だ。今回はそれらの一部を紹介する。

・旧日本海軍 零式艦上戦闘機三二型 Y2-176



この機体は1991年にマーシャル諸島タロア島で発見された残骸を一部修理した後、2014年から本館で展示されている。意外に感じるかも知れないが、イギリス国内には完全な状態の零戦は現在存在しない。以前紹介したIWMダックスフォードに展示されているコックピット部と本機のみである。

・イタリア海軍 人間魚雷 SSB(Siluro San Bartolomeo)



人間魚雷と聞くと非人道的兵器を思い浮かべる人が多いかもしれないが、イタリア海軍の人間魚雷は魚雷と言うよりは水中バイクに近い存在だ。人間魚雷にまたがった二名の工作員が敵船の下に潜り船底に時限式吸着機雷を装着し脱出するというものだ。

イタリア海軍は第二次世界大戦中にMaiale(ブタ)と呼ばれる人間魚雷を用いて「戦艦2隻大破、重巡1隻、潜水艦2隻、商船改造空母1隻、その他31隻沈没」と言う大戦果を残している。本船はMaialeの後継として開発された人間魚雷だ。


・BMW R75 750ccバイク&サイドカー



自動車に詳しい人はご存知かもしれないが、BMWは元々航空機エンジンメーカーとして創業した。第一次世界大戦の敗戦によって航空機の開発を禁止された為、次に手を出したのが二輪事業である。その後四輪車にも進出し、現在まで続くBMWブランドが出来上がった。

・総統官邸 国章 "鷲と鍵十字"



かつてベルリンにあった総統官邸の屋根に取り付けられていたブロンズの国章。彫刻家Schmid-Ehmenの作品で縦幅:190.5cm、横幅:287cm、奥行:86.4cm、重量:249.5kg。ソ連軍によるベルリン市街戦で受けた傷が今も残っている。


・MV San Demetrio



サン・デメトリオは1938年に建造されたイギリスのタンカー。同船は1940年10月28日にカナダのハリファックスを出港しイギリスのリヴァプールへ向かうHX84船団に参加した。しかし、商船38隻からなるHX84船団を護衛するのは商船に大砲を載せた武装商船HMSジャーヴィス・ベイ1隻のみであった(出港時はカナダ海軍のタウン級駆逐艦2隻が護衛に就いていたが、10月29日に引き返した)。

その為、11月5日17時頃に船団はドイツ海軍のポケット戦艦「アドミラル・シェア」による襲撃を受けた。HMSジャーヴィス・ベイが決死の突撃を敢行したことにより、船団は退避に成功したが、5隻の商船が沈没、本船も深刻な被害を被った。船内では火災が発生し、積載していたガソリンに引火の危険性が高まった為一度は総員退船したものの、再び乗船した16人の船員により火災は消火された。

しかし、主機と航海器具を破壊され船団とも逸れた為、応急修理によって回復した補助エンジンと推測航法で何とかアイルランドにたどり着いた。この物語は1943年に「SAN DEMETRIO LONDON (邦題:船団最後の日)」のタイトルで映画化されている。因みに本船は修理の後、再び大西洋に繰り出したが1942年3月17日にドイツ海軍の潜水艦U404の攻撃を受け沈没している。


開館時間


10:00~18:00


※1:休館日は公式ホームページ確認要
※2:COVID-19パンデミックによる臨時休館の可能性有


入場料


無料

(寄付金歓迎)


アクセス



  • 地下鉄ベイカールーラインの"Lambeth North"駅下車、徒歩10分
  • 国鉄及び地下鉄の"Waterloo"駅下車、徒歩20分




あとがき


ドイツ軍の暗号機"エニグマ"

久しぶりに英国博物館シリーズの記事を執筆させて頂きました。筆者が日本に帰国してからそろそろ一年が経過しようとしていますが、まだ紹介できていない博物館やスポットがあります。先日、英国から参考書籍が届いたのでそれらも少しずつ紹介出来たらいいなと考えています。

追伸:COVID-19変異種により爆発的に感染者数が増えているイングランドで3度目のロックダウンが行われるとのニュースを聞いて心を痛めています。どうか1日でも早い終息を祈っています。


次回投稿予定日


2021年1月15日 (金)


公式サイト


IWM London


資料提供


IWM Collections



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