ロンドンのシンボル「タワーブリッジ」の上流側には、第二次世界大戦で活躍した英国巡洋艦「HMSベルファスト」が展示されている。ロンドンに訪れた事がある人は一度は見かけた事があるかもしれない。今回はそんなHMSベルファストの歴史と艦内を紹介する。
はじめに
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ワークショップ(作業部屋) |
ミリタリーや船にあまり詳しくない読者の方も多いかと思うので、まず初めに初心者向けの用語解説をします。既に詳しい方はスキップして下さい。
-用語解説-
- HMS:「His (or Her) Majesty's Ship(国王(若しくは女王)陛下の船)」の略称で英海軍の船には必ずこの接頭辞が用いられる
- 巡洋艦:巡洋艦とは本来「遠洋航海能力を持った高速艦艇」と言う意味だが、時代が進むにつれ「戦艦の様な強力な装甲や火力を有していないが、駆逐艦よりも大型で高火力、高速の多用途艦という意味合いが強くなった。艦隊戦から船団護衛、植民地警備、地上への砲撃支援など何でもこなす万能艦艇だ
- デッキ(甲板):船内の階層の事で、船では1階2階と言った呼び方ではなく〇〇デッキと言う呼び方をする。因みに船側に蓋をするように外から見えるデッキを上甲板という
- 蒸気タービン:ボイラー室で水を沸かし、そこで得た蒸気を用いてタービンを回すことで動力や電力を得る推進方式。現在ではガスタービンやディーゼル機関が主流となっている
- ボイラー:水を沸騰させる機械。缶やカマと呼ばれる
- 主機:メインエンジンの事。蒸気タービンの場合、タービンの事を指す
- 〇軸推進:推進力を得る為のプロペラシャフトが何本あるかを示している。因みにベルファストは4軸推進
- 砲塔:山梨県の郷土料理(では無い)。英語ではガン・ターレット(Gun Turret)と言い、大砲を(単数若しくは複数)収めた部屋の事。英海軍では甲板を前・中・後で分けて、前甲板の砲塔は"A"から、中甲板の砲塔は"P"から、後甲板の砲塔は"X"から名前が付けられている。
- 露天艦橋:船の操船を行う艦橋(ブリッジ)が屋外にある事。屋外で操艦する為、乗組員は風雨や敵の攻撃に身を晒すこととなった。英海軍ではこの手のデザインを好んで採用した
- 酒保:艦内に設けられた売店、日用品の他に薬なども扱っている。英海軍ではNAAFI(Navy Army and Air Force Institute)が1921年から営業するようになった
History -HMSベルファストの歴史
HMSベルファストは英海軍の巡洋艦の中で、タウン級軽巡洋艦(1936)に分類される。因みに艦名がすべて街の名前だった為、タウン級と呼ばれている。このタウン級は製造時期によって3つのグループが存在する。
初期型:サウサンプトン級
HMSサウサンプトン、HMSバーミンガム、HMSグラスゴー、HMSニューカッスル、HMSシェフィールド
中期型:グロスター級
HMSグロスター、HMSリヴァプール、HMSマンチェスター
後期型:エディンバラ級
HMSエディンバラ、HMSベルファスト
HMSベルファストは後期型であるエディンバラ級に属し、1936年に艦名の由来である北アイルランドのベルファストで起工、1939年に就役した。就役後は第18巡洋艦戦隊に配属され、スコットランドにある英海軍の一大拠点「スカパ・フロー」に配備された。
1939年10月14日に戦艦ロイヤル・オークがスカパ・フローに停泊中、ドイツ軍のUボートU47の魚雷攻撃を受け撃沈される事件が発生した。事態を重く見た英海軍はHMSベルファストをエディンバラ北方にあるフォース湾に避難させることを決めた。フォース湾は狭い入り江の為、敵の攻撃を受け辛いからだ。
しかし、HMSベルファストは1939年11月21日、フォース湾を航行中にドイツ軍が仕掛けた機雷に接触、艦尾に重大な損傷を負ってしまう。この損傷により約3年間ドックで修理が行われる事となった。この間、水兵と海兵隊員は戦艦フッドに転属した。因みに、戦艦フッドは1941年5月24日にドイツ軍の戦艦ビスマルクと交戦、撃沈されており生存者は僅か3名のみである。
1942年12月に現役復帰を果たしたHMSベルファストはソ連に向かう船団を護衛する任務に就いた。この任務は正に天候との闘いであった。冬の北海は荒れやすく、波が主砲塔の天井に被る事もあった。
1943年12月26日、ソ連から英国に戻ろうとするRA55A船団を襲撃しようとしたドイツ軍の戦艦シャルンホルストを英海軍が迎え撃つべく始まった「北岬沖海戦」に参加する。英海軍は巡洋艦3隻で構成されたフォース1と戦艦デューク・オブ・ヨークを旗艦とするフォース2の二つのグループで対峙した。
HMSベルファストはフォース1に属し、08:40レーダーによってシャルンホルストを発見、最初の攻撃を行った。天候が吹雪だった為、レーダー射撃を行った英海軍の一方的な攻撃によりシャルンホルストのレーダーを破壊した。その後、12:21に再度会敵するが、この時は敵の反撃に合い重巡ノーフォークのレーダーと砲塔を破壊されている。
そこで英海軍はシャルンホルストをフォース2の前に引きずり出す作戦に出た。これが成功し、フォース1、2に挟み撃ちをされたシャルンホルストは撤退を試みるも19:45に沈没した。
その後は、太平洋戦線に参加するべく改装の後、オーストラリアのシドニーに寄港。同地で終戦を迎えた。戦争終結後、上海に残された英国市民を解放する作戦に参加した。
戦後も太平洋艦隊に属し、中国の国共内戦や朝鮮戦争に参加。朝鮮戦争では国連軍の一員として沿岸のトーチカに対する攻撃や、墜落したMiG-15戦闘機のサルベージ作業を援護するべく対空援護を行った。因みに当時は日本の佐世保軍港を母港としており、僅かながら日本との関わりもある。1952年9月27日、二隻のタウン級軽巡洋艦(HMSバーミンガム、HMSニューカッスル)と共に英国への帰路に就いた。
DEFENCE: HMS Belfast returns from Korea (1950) © British Pathé
朝鮮戦争から帰国したHMSベルファストは、深刻な財政難から他の英国艦艇と同様に廃艦にするべきか約3年間に渡り検討がされた。本艦は幸運にも1956年から1959年にかけて近代化改修を実施し、現役に復帰した。艦橋が現在の姿になったのはこの時である。
1962年6月19日、ポーツマス軍港に最後の航海から帰港した。
そして1967年4月14日、IWM(帝国戦争博物館)のスタッフがHMSガンビアの砲塔を入手するべくポーツマスに訪れた際、退役したHMSベルファストを見て博物館船として保存する案を思いつく。この案は国会で一度は否決されたものの、元艦長らが保存活動に賛同した事により実現する。
1971年10月21日(トラファルガー海戦記念日)から本艦は一般に公開される様になり、1978年からIWMの分館となった。
Main Deck -メインデッキ
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酒保「NAAFI CANTEEN」 |
乗組員の生活の中心で共用施設が大部分を占めている。大戦中は上級士官向けのクォーター・デッキが含まれていたが、1950年代の近代化改修で共用施設に変わった。
こうした当時の船員の生活が知れるのも博物館船の良いところだ。兵装や航海器具の写真が多く残っているのに対し、船内の写真は少ないからだ。
・ランドリールーム
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ドラム型洗濯機が並ぶ |
・キッチン
英国ではパンが主食の為、パン屋顔負けのパン工房がキッチンに備わっている。
キッチンにまつわるトレビアとしてこんな話が残っている。1962年に台風の中を航行中船が大きく揺れてスープの鍋が倒れてしまう事故が起こった。空になった鍋の中を覗いてみると、中にはなんと4匹のネズミの骨があったのだ!恐らく、足を滑らせてスープの中に落ちてしまったのだろう。
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パンこね機 |
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肉貯蔵庫 |
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調理準備室 |
・食堂
・21インチ Mk IX魚雷
大戦中は三連装魚雷発射管を方舷1基ずつ計2基搭載していたが、1950年代の改修で撤去されている。魚雷発射用に開けられた穴は塞がれ、現在では艦内通路となっている。
Lower Decks -下甲板
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機関室へと続く階段 |
下甲板は艦の重要区画が収められている為、敵の攻撃に備えて側面は10cm、天井は7.5cmの装甲で守られている。
・射撃指揮所
射撃指揮所では射撃管制装置を用いて自艦と敵艦の位置や相対速力等により敵艦の未来位置を計算し、各砲塔に照準値を伝えている。
射撃管制装置の歴史については秋雨零時さんが製作された下記の動画で詳しく解説されているので、興味があったら覗いてみて欲しい。
・ジャイロコンパス室
・操舵室
HMSベルファストが就役した当時は他の艦船と同じく外が見える艦橋にも操舵室があった。しかし、1950年代の改修で艦橋の操舵室はアドミラル・ブリッジに姿を変えた。その為、操舵手は外が見えない状態でブリッジとの通信を頼りに舵を握る事になる。総舵手の両脇には左右のエンジン・テレグラフを操作する水兵が立っていた。
因みに建造時、本艦を含むエディンバラ級は露天艦橋の真下に操舵室があったが、サウサンプトン級とグロスター級は艦橋のさらに低い位置に操舵室があった。エディンバラ級でレイアウト変更した理由は恐らく、操舵室の高さが低すぎてB砲塔に視界が邪魔されていた為だと思われる。
・機関室
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ボイラー室 |
HMSベルファストの機関室は船の左右で二つに分かれており、位置も前後に分けるシフト配置を採用した。これは仮に片方の機関室が破壊されたとしても、航行を続けることが出来る為である。
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エンジン・テレグラフ |
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スクリュー軸 |
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主機タービン |
Upper Decks -上甲板
・艦橋
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観測デッキ |
HMSベルファストの艦橋は1950年代の改修で大きく姿を変えた、かつて露天艦橋だった場所は近代的なメイン・ブリッジへと変化した。
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メイン・ブリッジ (元露天艦橋) |
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アドミラル・ブリッジ (元操舵室) |
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レーダー管制室 |
・主砲 6インチ三連装砲塔 Mk XXIII
主砲の6インチ砲は1930年就役のリアンダー級軽巡洋艦から採用されている大砲だ。本艦はこの大砲を三連装に納めたMk XXIII砲塔を4基搭載している。この砲塔の特徴は中央の砲身が左右の砲身よりも後ろにある事だ。
筆者は最初、砲弾同士の衝撃波によって着弾の散布界が広がる問題を解決する為だと考えていたが、どうやら装填スペースを確保する事が主な理由らしい。
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中央の砲尾、左右の方よりも後ろに位置している |
因みに本艦よりも前に建造されたサウサンプトン級とグロスター級はMk XXII型砲塔を搭載している。MK XXIIIとの違いは揚弾方式にある。
Mk XXIIでは砲弾を収めた「弾薬庫(弾庫)」と装薬を収めた「火薬庫(薬庫)」が同じフロアに分散配置されていたが、Mk XXIIIでは弾庫と薬庫を砲塔の回転軸上に配置する事で揚弾効率が上がった。これにより、Mk XXIIIでは弾庫から直接砲弾を揚げる事が可能となった。この特徴は補給の際にも有利に働いた。
それぞれの砲塔は外見上でも見分けることが出来る。Mk XXIIでは砲塔前面と天井の境が丸みを帯びているのに対し、Mk XXIIIでは角ばっている。
・ボフォース 40mm連装機関砲
就役時は対空火器として「2ポンドポムポム砲」を装備していた。因みにポムポム砲は「ポンポン壊れる」と言いたくなるほど弾詰まりが多く、対空兵器としてはあまり向いていなかった。
開館情報
現在、COVID-19パンデミックの影響で休館中
2021年夏再開予定
入場料
大人:£16.20
子供(5~15歳):£8.10
※2020年時点
あとがき
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ゲームのラストステージに出てきそうな風格のあるビルは 高さ310mの超高層ビル「シャード」
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今回は博物館で購入したガイドブックの他にイギリスから参考書籍を取り寄せて記事にしてみました。ニッチな分野でも解説本が豊富なのがイギリスの良いところです。現地の古書店では比較的安価に手に入る為、資料の入手が捗ります。近年では日本への発送に対応したオンライン書店が増えているので、気になる本があったら利用してみてはいかがでしょうか。
次回投稿予定日
2021年1月29日(金)
資料提供
参考文献
- 「HMS BELFAST GUIDEBOOK」出版:IWM、ISBN 978-1-904897-79-8
- 「BRITISH TOWN CLASS CRUISERS」著:Conrad Waters、出版:Seaforth、ISBN 978-1-5267-1885-3
書籍紹介
- 「All The World's Fighting Fleets (第6版)」出版: Sampson Low Marston & Co.
この本は第二次世界大戦中の1940年に出版された図鑑。出版されたのが戦争中と言う事もあって詳細な情報は載っていないが、当時の呼称や英国から見た枢軸国の兵器の評価が分る貴重な資料だ