2020年3月27日金曜日

王立空軍博物館 コスフォード 冷戦館 (National Cold War Exhibition)


1950年代初頭、第二次世界大戦の終結後飛躍的に勢力を拡大した共産主義勢力は資本主義国家からは警戒され、両陣営は鉄のカーテンによって隔てられる事となった。即ち共産主義陣営である「東側諸国」と資本主義陣営である「西側諸国」の対立「冷戦」の幕開けである。

3Vボマー


1950年代、大陸間弾道ミサイルが開発される以前の話である。核戦力と言えば、長距離爆撃機による戦術核攻撃であった。折しも飛行機がレシプロエンジンからジェットエンジンへと変わる過渡期であった為、各国がジェットエンジン搭載の戦略爆撃機を開発したのは自然の流れである。しかし、その回答はアメリカとイギリスでは大きく異なっていた。アメリカでは、堅実な設計で航続距離と搭載量に重きを置いたB-52を開発。イギリスはアメリカの爆撃機がソ連にたどり着く前に攻撃するべく、航続距離は短いが速度を重視した爆撃機を開発した。ヴァリアント(Valiant), ヴァルカン(Vulcan), ヴィクター(Victor)の頭文字を取って3Vボマーと呼ばれる爆撃機達である。

当時最新鋭の技術を盛り込んだ爆撃機がイギリスで誕生するきっかけは戦後ドイツで行った技術調査の結果である。大戦末期、ドイツの空力研究は世界の最先端に達しており、特に高速域での飛行に関して後退角が極めて有効であるという事を突き止めていた。調査官としてドイツに派遣されていたゴッドフリー・リーはこれらの研究結果を本国に持ち帰り空軍に対し次期爆撃機開発要綱であるOR230の発布を促した。後に航空省仕様B35/46となり開発されたのがアヴロ ヴァルカンとハンドレイ・ページ ヴィクターである。

ヴィッカース ヴァリアント



ヴィッカース社が開発したヴァリアントは3Vボマーの中で最も早く1955年に就役している。本機は本命である後述の2機種が開発されるまでの繋ぎとして開発された。即戦力となる事を求められた為、従来の技術を応用した堅実な設計となっている。構造上の欠陥も合間って1965年には早々に退役してしまった。

しかし、本機はNATO軍において初期の核戦力として活躍し、3Vボマーの中で唯一核爆弾の投下実験に参加している。また、実戦参加は1956年のスエズ動乱で通常爆弾をエジプト空軍基地に投下している。

アヴロ ヴァルカン



アヴロ社が開発したヴァルカン世界初のデルタ翼爆撃機である。爆弾の搭載容量こそ後述のヴィクターより少ないものの、主翼面積が大きい事により低空飛行性能の高さ及び航続距離が長い利点があった。また、デルタ翼の副次的な効果としてレーダーに映りにくいと言う特徴があった。

爆撃機の任務が高高度からの戦略核攻撃から低空侵入による拠点攻撃に変化すると、低空での飛行能力の高さから、本機は3Vボマーの中で最後まで爆撃機として活躍した。

因みに本館に収蔵されているXM598機はフォークランド紛争においてアルゼンチン軍が占領下のポートスタンリー空港への爆撃作戦「ブラック・バック作戦」に6回参加している。最寄りの友軍基地が作戦域から6000kmも離れたアセンション島しか無い状態で航続距離4000kmの本機がどうやって爆撃したのか興味がお有りの方は是非とも同作戦について調べてみて欲しい。


ハンドレイ・ページ ヴィクター



3Vボマーの中で最も最後に登場した本機は特徴的な主翼である三日月翼を装備している。これは後退角が三段階に緩やかになる事で高速飛行中の抵抗を抑える為である。

エンジンは上述2機種がRRエイヴォンエンジンを搭載したのに対し本機はアームストロング・シドレー サファイアを搭載している。(B.2型以降はRRコンウェイエンジンに変更)
緊急時脱出用の射出座席はパイロットのみ装備されている。HP社は当初、キャビンを分離して脱出する案を検討していたが、虫の目と呼ばれていたキャノピーと特徴的な機首が妨げた。結果、その他のクルーには射出座席は搭載されなかった。これは一刻も早い実戦配備が求められた事も一因である。
爆弾の搭載量は3Vボマーの中で最も多く15,750kgまで積載可能。

1968年、核戦略の方針転換により核爆撃任務が終了し、本機は空中給油機に改装された。巨大な積載量を誇る本機は常に空中給油機不足に悩んでいるRAFで重宝され、3Vボマーとしては最長となる1993年まで現役であった。

〜Short Story〜
1952年のクリスマスイヴ、試作機であるHP80が初飛行をした。今まで見た事のない飛行機の姿にあるアメリカ軍の将校は当惑した。後に生産ラインのある”格納庫”に彼を案内すると、彼は「何故”納屋”の中で作っているんだ?」と聞いたと言う。実際、当時のHP社の経営は危機的状況にあり本機は正に社運の掛かったプロジェクトであった。

胴体側面に描かれたキルマークはガソリンスタンドの計量器になっている
主翼は本機の特徴である三日月翼
B.2型からRRコンウェイエンジンを4基搭載
空中給油装置は主翼下の他に胴体後部の底面にも格納された

搭載兵器

3Vボマーが搭載した核兵器を2つ紹介する。どちらも核弾頭にはアメリカ製W28核弾頭を元に開発されたレッドスノーを用いている。出力は1.8メガトン、弾頭形式は熱核弾頭(即ち水素爆弾)である。

イエローサンMk.2



イエローサンは全長6.4m、全幅1.2m、重量3,290kgの航空投下核爆弾。ノーズコーンが完全な平面となっており、非常にユニーク(英国的)なデザインなのは空気抵抗を敢えて増やす事でパラシュート無しでの減速を行う為だ。これは爆撃機が安全圏まで離脱する時間を稼ぐ為の仕組みだ。

ブルースチール



ブルースチールはアブロ社が開発した空対地巡航ミサイル。対空ミサイルが配備された防空網の発展は爆撃機にとって脅威となっていた。そこで各国は防空システムを無力化する為の巡航ミサイルの開発を行った。このミサイルは試験的にヴァルカンとヴィクターに搭載されたものの射程が240kmしか無く問題となっていた。後継となる筈だったアメリカ空軍のスカイボルトも開発中止となってしまった。

ミサイル万能論と核兵器搭載爆撃機の終焉


潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM) ポラリス
1960年代になると潜水艦から発射可能な弾道ミサイル(SLBM)が開発される。これは即ちこれまで空軍の爆撃機が担ってきた核抑止任務が海軍麾下の原子力潜水艦に移行される事を意味していた。従って、英国において爆撃機を用いた核爆撃任務は1960年後半に終わりを迎えた。その後、ヴァルカンは通常爆撃任務に、ヴィクターは空中給油任務につく事となった。

共産主義陣営


MiG-15bis



ソ連が1947年に開発した第1世代ジェット戦闘機であるMiG-15は中国の国共内戦で初陣を飾り、朝鮮戦争において国連軍に対しその威力を見せつけた。非常にシンプルで整備性の高い本機は第3世界に渡り、数々の紛争に関わる事となる。

尚、搭載エンジンはロールスロイス製ニーンエンジンの模造品であるKV-1を搭載した。このエンジンは中国でも無断で生産され、後にRRはソビエト連邦政府に対しライセンス料の請求を行ったが、徒労に終わってしまった。

MiG-21PF



MiG-21は1955年に開発された第2世代ジェット戦闘機。主翼は新開発の三角翼を備えた本機はソ連最初のマッハ2級戦闘機となった。超音速機では史上最も多く総計1万機以上が生産された。また、中国では本機をコピーしたJ-7を2700機が生産された。アンゴラ、クロアチア、キューバ、インド、朝鮮民主主義人民共和国で現役。

BMP-1



ソビエト連邦が開発した世界初の歩兵戦闘車(IFV)。従来から存在した装甲兵員輸送車との大きな違いは戦車との戦闘も可能な強力な武装である。主砲の73mm低圧滑空砲は榴弾(HE)と対戦車榴弾(HEAT)の発射が可能である。また、主砲の基部には対戦車ミサイルである9M14 マトリョーシカを搭載可能である。

尚、ソ連軍ではBMPシリーズと装甲兵員輸送車であるBTRシリーズをハイローミックスで使用した。BMPは単純に製造コストが高いだけでなく、無限軌道は悪路での走行性能は優れていたが、戦場までの輸送は戦車と同じく専用のトレーラーや鉄道輸送に頼らざる追えず輸送コストも掛かった。その為、装輪式で移動速度が優れるBTRが戦場に急行し、後から戦車と共にBMPがやって来ると言う作戦である。因みに現在のロシア軍においては任務に応じて使い分ける傾向にあると言う。

兵員席は左右に4席づつある

Sachsenring Trabant トラバント



東ドイツで開発されたトラバントは小型の大衆車として東側諸国で利用された。しかし、2ストロークエンジンに起因する排ガス問題と車体の材料であるFRPは燃焼すると有毒ガスを排出する為、冷戦後には処分できずに朽ち果てたトラバントの姿を至る所で見る事が出来た。現在では、ベルリンの壁と同様に東西冷戦を象徴する歴史的な物としてオークションに於いて高値で取引されると言う。

あとがき




冷戦初期、イギリスはNATOの核戦力の一翼を担っていた。故に3機種の同時開発と言う現在のイギリスでは考えられないビッグプロジェクトを実行した。しかし、イギリスの経済は1970年代から逆境に晒される事となる。従って次世代の超音速爆撃機は開発中止。3Vボマーがイギリス最後の戦略爆撃機となってしまった。また、開発時に航続距離よりも速度を優先した結果、兵器としての寿命を短くする事になった。即ち後に登場する超音速機よりも遅く、航続距離も短いのだ。同時期に開発されたB-52が未だに現役なのは、堅実な設計と長大な航続距離による物であろう。

参考サイト

ROYAL AIR FORCE MUSEUM -On display
RAFミュージアムに収蔵している展示品の解説が掲載されている。機体によっては音声ガイド(Podcast)もある。

参考文献

「VICTOR BOYS」
著:Tony Blackman, 出版社:Grub Street, ISBN:978-1-908117-45-8


2020年3月13日金曜日

王立空軍博物館 コスフォード (RAF Museum Cosford)


前回はロンドン郊外にあるRAF Museum Londonを紹介したが、今回はもう一つのRAFミュージアム "RAF Museum Cosford"を2回に分けて紹介する。

前回記事は下記参照
RAF Museum Londonについてはコチラ

アクセス



最寄駅のCosford駅はロンドンから電車で2時間程。直通列車は無いのでバーミンガム等で乗り換えが必要。駅から博物館までは徒歩20分程。一本道なので間違える心配は無い。


開館時間


11月1日〜2月29日
10:00-16:00
3月1日〜10月31日
10:00-17:00

※最終入場は閉館時間の30分前
※イベントや祝日等で閉館の可能性あり、公式サイトを要確認

入場料


無料
(寄付金歓迎)


エントランス



博物館のエントランスを抜けると、屋外に対潜哨戒機の展示がある。

SP-2H (P2V-7S)


アメリカのロッキード社が開発したP-2対潜哨戒機派生型の一つ。海上自衛隊が導入したP2V-7をベースに対潜装備及びECM機器の性能を向上した型。

BAE ニムロッド


ホーカー・シドレー社が先述のP-2を置き換えるベく開発した対潜哨戒機・電子戦機。因みに当初はNATO各国でブレゲー社(フランス)のアトランティックを採用する計画だったが、計画の途中でアメリカ、イギリス、ベルギーが離脱。アメリカはロッキード P-3を採用した。

世界初の旅客機DH.106 コメットをベースに開発された機体であるが、対潜装備(洋上監視レーダー、爆弾槽)の為に大きく膨らんだ胴体下部や機首から突き出すツノの様な空中給油受油装置はもはや原型機の姿を留めていない。また、この空中給油受油装置により機体の安定性が損なわれた為、水平尾翼に安定板が追加されている。

DH.106 コメットについてはコチラ

TEST FLIGHT



ここでは、航空機の開発で試作された試作機のみを展示している。イギリスの世にも奇妙な飛行機達が我々を迎えてくれる。

グロースター ミーティア F8 Prone Pilot


人間の耐G負荷を検証する為にイギリス初のジェット戦闘機ミーティアを改造して造られた試験機。パイロットはうつ伏せの状態で操縦する。しかし操縦性に問題があった為、以後同方式の操縦姿勢は採用されていない。


BAC TSR.2


ここの展示で最も存在感がある白い巨体はBAC社が試作した超音速機。短距離離陸(STOL)と核攻撃能力を兼ね備えた機体として開発された。性能は非常に良好で目立った問題は無かったが、当時の労働党政権はミサイル万能論による大幅な軍縮を断行した。これにより当機を含む数々の開発計画は白紙になってしまった。

機体側面にはユニット化された計測機器が収納されている
ブリストル・シドレー オリンパス 22R Mk.320

BAe EAP


BAe社が試作したEAP(Experimental Aircraft Program)はフライ・バイ・ワイヤ等の先進技術実証機。ここで得られた知見は後に国際共同開発となるユーロファイター タイフーンに受け継がれた。

WAR PRANES


アブロ リンカーン

ここでは第二次世界大戦までに活躍した航空機を展示している。前回紹介したRAFMロンドンと異なるのは、日本やドイツといった枢軸陣営の機体展示が多い点である。


メッサーシュミット Bf109 G-2


前回RAFMロンドンで紹介したBf109はダイムラー・ベンツ社製DB601エンジンを搭載するE型。この機はエンジンに同社のDB605エンジンを搭載した後期生産型。機体には砂漠迷彩塗装が施されている。

フォッケウルフ Fw190 A-8/R6


Bf109は非常に高性能な戦闘機であったが、高速を追求した余り機体は脆く、エンジンは大量生産には難があった。そこでフォッケウルフ社のタンク技師によって開発されたのが当機だ。機体は頑丈に造られ、エンジンはメンテナンスの容易な空冷星型エンジンを用いている。その使い勝手の良さから大戦後半ではドイツ軍の主力戦闘機にまで登りつめた名機である。

メッサーシュミット Me262A-2a


世界初のジェット戦闘機として有名な本機。翼下にターボジェットエンジン2機を搭載している。最高スピードは870km/hにも及び、当時のレシプロ戦闘機では追いつくことが出来なかった。しかし、戦局は既に連合国側に傾いていた為、戦局を打開する程の戦果は得られなかった。終戦後チェコスロバキアにおいて少数がアヴィア S-92の名で生産されている。

メッサーシュミット Me163B-1a


こちらは世界初のロケット戦闘機。機体は木製でエンジンは胴体に内蔵したHWK 109-509A-1液体ロケットエンジンによって推力を得る。詰まるところ、液体燃料式ロケットに人間が搭乗して操縦する様な代物だ。航続時間はロケットの燃焼時間である7分30秒しか無く、戦果は思った様に上がらなかった。

ユンカース Ju88R-1


爆撃機として開発されたが、汎用性の高さから雷撃、偵察、夜間戦闘機等様々な任務で使用された。しかし、防御力は貧弱だった為、バトル・オブ・ブリテンにおいて英軍によって容易に撃墜された。本館に収蔵されているのは夜間戦闘機型のC型にBMW 801エンジンを搭載したR型。

メッサーシュミット Me410A-1-U2


Me210を基に開発された複座の攻撃機。空中戦、軽爆撃、対艦攻撃、偵察任務など様々な任務に就いた。大戦末期になると日に日に増す連合軍機による戦略爆撃機を迎撃する為に用いられたが返り討ちに会うことが多く、製造メーカーは単発単座の生産に注力する事にした。

本館に所蔵されている旧日本軍機はどちらも世界で1機しか現存しない貴重な機体だ。

川崎 キ100 五式戦闘機一型


本機には陸軍の愛称や連合軍のコードネームは存在しない。本機は大戦末期、三式戦闘機「飛燕」の胴体に空冷星型エンジン「ハ112-II」を搭載し急造した機体だからだ。ドイツのFw190Aを参考にエンジンの換装を行った本機は意外とバランスが良くパイロットからの評判も高かった。風防は元々飛燕と同様であったが、最終生産型の99機は視界確保の為胴体後部を削り涙滴型の風防を備えている。本館で展示されているのはその内の1機だ。





三菱 キ46 一〇〇式司令部偵察機三型甲


高速長距離偵察機として開発された本機は大戦中の全期間を通して利用された。本館では「第二次世界大戦において最もエレガントな飛行機の一つ」と紹介している軍用機とは思えない優美な外見が特徴だ。当館で展示している機はエンジンにハ112-IIを採用した三型。マレー半島に配属されていた機体を戦後イギリス空軍が本国に持ち帰った機である。

COLD WAR



冷戦時代をテーマに爆撃機から核ミサイルまであらゆる装備の展示が充実している。詳細は次回の配信にてお伝えする。

あとがき

今回紹介したRAFM Cosfordはロンドンから比較的アクセスがし易く、前回紹介したロンドン館とは違った魅力が詰まっているので、おすすめのスポットだ。世界でここにしか存在しない貴重な展示品もあるのでイギリスにお越しの際は是非、立ち寄って欲しい。
次回は本館一の見どころ「COLD WAR (冷戦館)」をご紹介する。

参考サイト

ROYAL AIR FORCE MUSEUM -On display
RAFミュージアムに収蔵している展示品の解説が掲載されている。機体によっては音声ガイド(Podcast)もある。

参考文献

「戦闘機大百科 -第二次世界大戦編-」
出版社:株式会社アルゴノート, ISBN:978-4-914974-22-0

「Hobby Japan next 英国特集2017」
出版社:株式会社ホビージャパン, ISBN:978-4-7986-1578-3


2020年3月6日金曜日

王立空軍博物館 ロンドン (RAF Museum London)


王立空軍を意味するRoyal Air Force(RAF)は今や英国空軍の固有名詞となっている。第一次世界大戦時、世界の何処にも空軍と呼ばれる組織は存在しなかった。事実、第二次世界大戦においてもアメリカや日本の航空戦力は海軍や陸軍の一部隊に過ぎなかった。そんな中、第一次世界大戦後にいち早く独立兵科である空軍を組織したのがイギリスである。

イギリスにはこうした経緯で発足したRAFの足跡を後世に語る為のRAFミュージアムが2カ所存在する。一つはバーミンガムに程近いコスフォードに、今一つはロンドンにある。今回はRAFミュージアム ロンドン館を紹介する。

アクセス


ロンドン北部に位置する当博物館へはロンドン中心部(シティ)から地下鉄(チューブ)で行く事ができる。最寄駅はノーザン線のコリンデール駅(Zone4)。ノーザン線はカムデン・タウン駅を境に木の枝の様に路線が分岐する為、列車の行き先には注意が必要だ。エッジウェア行の列車に乗れば間違いなくコリンデールに辿り着ける。

コリンデール駅からは徒歩15分程。道は平坦だが、交通量が多く歩道が狭いので注意が必要。


開館時間


11月1日〜2月29日
10:00-17:00
3月1日〜10月31日
10:00-18:00

※最終入場は閉館時間の30分前
※イベントや祝日等で閉館の可能性あり、公式サイトを要確認

入場料


無料
(寄付金歓迎)

館内MAP


※この航空写真は2018年の改装以前に撮られている為、駐車場の位置が現在と異なる
博物館は6個の格納庫(ハンガー)から構成されており、それ以外にレストランが独立して存在する。尚ハンガー3,4,5(以下H3,4,5)は内部で繋がっている。では、それぞれの展示を紹介する。

H1


ショート サンダーランド

エントランスを兼ねるH1の展示は主に装備品の開発・種類及び救難活動である。RAFグッズやプラモデルを扱うショップも併設されている為、お土産を買うとしたらここで探すと良いだろう。

ここの展示の目玉は何と言ってもショート サンダーランド飛行艇だろう。第二次大戦中、この飛行艇はドイツのUボートにとって非常に脅威だった。空から潜水艦を見つけ出す姿は指輪物語に出てくる魔王サウロンの下僕ナズグールに例えられた。

サンダーランド は機内に入る事もできる

また、装備品の展示では英国が開発した世にも奇妙な空対空ミサイル(AAM)の展示がある。

取り扱い注意!
防護服必須のAAM、ファイアストリーク


一番手前がファイアストリーク

これは、1957年にデ・ハビランド社が開発した第一世代のAAM。開発名はブルー・ジェイ。発射後は母機からの誘導が必要無いファイア・アンド・フォゲット式のミサイル。

ミサイルに詳しく無い人でも気づく特徴的なペンシル型ノーズコーンはミサイルの誘導に使用する赤外線シーカーに氷が付着しない様にする物。実はこの赤外線シーカーがかなりの曲者だった。原料に三硫化ヒ素を用いている為、人体に有毒な上にS/N比を上げる為に常に-180℃で冷却し続け無くてはいけない扱いづらい物だった。

またミサイル内部の構造も複雑で、まず通常は先端にある筈の弾頭がミサイルの後部にある。さらにミサイルの制御は後方のデルタ翼によって行われたが、翼を動かすアクチュエーターは何故かミサイルの前方にあり、更にアクチュエーターを動かす為のエアコンプレッサーはミサイルの後方に配置していた。

しかし、このミサイルの決定的な欠点は誘導装置が雲の中では働かないという点だった。冬場は晴れることが少ないイギリスにおいてである。そんなファイアストリークもイギリス空軍において初めて有効なAAMであり、改良されつつ1988年まで使用された。


H2



煉瓦造りで一際古い外観のH2は第一次世界大戦で活躍した飛行機を展示している。他の博物館ではあまり見られない航空黎明期の飛行機達の姿を見る事ができる。

Blériot XXVII
ソッピース トライプレーン

木製の枠に布を羽布張りにした構造が良く分かる
機銃のプロペラ同調装置を模した模型

H3,H4


スーパーマリン ストランラー

H3,H4は第二次世界大戦で活躍した航空機を主に展示している。第二次世界大戦で活躍したイギリスの戦闘機と言えばスーパーマリン スピットファイアやホーカー ハリケーンを思い浮かべる人が多いと思う。ここの展示はそうした名機に隠れたワークホースや枢軸陣営の飛行機も展示している。

ホーカー社の暴風三兄弟


ホーカー社が傑作機ハリケーンの後継機として開発したタイフーンとその発展型テンペスト。搭載エンジンは変態エンジンメーカーとして名高い(興味がある人はデルティックエンジン等で調べて見ると良い)ネイピア社製セイバーエンジン。

次期主力エンジンの開発競争において名門ロールスロイス(RR)社はヴァルチャー、ブリストル社はセントーラスを開発していたが開発に難航していた為、ネイピア社に白羽の矢が立った。因みにホーカー社ではRR ヴァルチャーを搭載した機体をトーネードとして先行開発していたが、ヴァルチャーエンジンが失敗作となってしまった為、トーネードはお蔵入り、タイフーンが正式採用される運びとなった。詳しくは岡部いさく氏 著「世界の駄作機」を確認して欲しい。
ホーカー タイフーン
ホーカー テンペスト


夜間戦闘機


ブリストル ボーファイター

飛行船


R33飛行船の操舵室


第二次世界大戦のドイツ軍戦闘機で最も有名なBf109。高速を活かした一撃離脱を重視して開発された重戦闘機。総生産機数はドイツ軍機で最も多く、全シリーズを含めると33,984機に及ぶ。

メッサーシュミット Bf109


第二次世界大戦中に最後に生産された複葉戦闘機はグロスター グラディエーターでは無くイタリア フィアット社製 CR.42 ファルコ。低速だが運動性能が良く安価な軽戦闘機として使用され、ベルギー、ハンガリー、スウェーデンにも輸出された。因みにファルコはイタリア語で鷹の意味だが、ややこしい事に同名の戦闘機が同時期にもう一つ存在する。その名はレッジアーネ Re.2000 ファルコと言い、全金属製で引込式の主脚を備えた先進的な単座戦闘機だった。

フィアット CR.42 ファルコ

H5


ハインケル He111

H-5は爆撃機や双発戦闘機をメインに取り扱っている。世界で保存数の少ないドイツ軍機の展示もあり、非常に充実したラインナップなのだが、格納庫の照明が非常に暗いのが少し残念な点。薄暗い為、足元には注意しよう。

ユンカース Ju87 スツーカ
メッサーシュミット Bf110 G-2
ハインケル He162 ザラマンダー

H6



最後に紹介するのは現代戦をテーマにしたH6。ユーロファイター タイフーンやバッカニア S.2bなどを見る事ができる。

砂漠迷彩のバッカニア S.2b


あとがき


スピットファイア Fish & Chips £10.50

RAFミュージアム ロンドンはシティーからのアクセスも良い為、もしロンドンに寄った際は是非オススメしたいスポットだ。平日は小中学校の校外研修、休日は家族連れで常に賑わっている。日本では考えられないかも知れないが、子供の教育施設としての側面もあるのだ。